シンプルなカラダづくりを考える

中医×探究思考÷畑で過ごす日々

おもろい本見つけた。100円なり!

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「気」の構造、赤塚行雄より

「で」と「が」について

 

ふだんは気にしていないけれど、

あらためて考えてみると、

私たちは、日常「気」という言葉をさかんに使って生活している。

 

「気になる」「気に入る」「気にくわない」

「気が乗る」「気がある」「気を引く」「気付く」・・・。

 

私たちは、「物」を追求し、「物」が豊かになりさえすれば幸福が実現すると考えてきた。

しかし、大切なのは「物」よりも「気」ではないか。

「気」に入らない、「物」をもらっても少しも嬉しくない。「気」のないお義理も有り難くない。

 

いかに豊かな「物」に恵まれていても、バカみたいに生きているのではなんとも悲しい。

シーガルの『ラヴ・ストーリィ』の中のせりふではないけれども、

stupid and rich よりも、むしろ、smart and poor を選びたい。

とにかく、「気」のきいた、いきいきした生き方のほうが、

「物」に恵まれているがバカに生きている生活よりずっとましである。

「物」なんか必要なんかないというのではない。

まず「気」が大切なのであって、

その「気」にかなう「物」があれば、

「物」はこと足りるということなのである。

 

たとえ、「物」は豊かになったとしても、「気」が入っていないような世の中では困る。

自分の気持ちだけではなく、

相手の気持ちも考えて、

なんとか気分よく生きていけないものか。

 

さてしかし、実は「気」は、それほど単純明快なものではなく、

自分でさえ自分の「気」がわからないということも多い。

 

食堂に入って、何を食べてよいかわからないことがよくあるものだ。

そして、「ぼくもチャーハンでいいや」などとよく言う。

「で」ではなく、「が」を探せと論理的にせめられても、

「どうしても、これがいい」というものはなかなかみつからない。

 

仲間がチャーハンを注文したので、

なんとなく、それに「気」を引かれてしまったりする。

仲間とのたまの食事で、「が」が探せず、

「私も同じものでいいや」と答えたとしても、なんということはない。

 

けれども、この世の中のことすべて、

「で」でいくのでは、あまりにもさみしい。

少なくとも、恋愛や仕事においては、

他人からおくれをとったとしても、

よいかげんな「で」ではなく、「が」を選びたいものである。