やった!
昨日は家族揃って休日。
なので、
家族みんなで神社参りに行くことにした。
朝早くからぶらぶら歩くのもええもんです。
神社に行くという「行為」はいいこと、と思って始めた。
確かにいいこと。
でも、最近改めて感じていることがあるんですわ。
神社に向かって出発してから、家に帰ってくるまでの「時間」がとっても大切ということ。
長い、短いは関係ない。
「時間の過ごし方」が大事なんや!
神社参りをしている間の「時間」は
自分でつくる「癒しの時間」になっています。
ほんまです。
朝からウマタマは友達とお出かけ。
行ってらっしゃい!
父ちゃんは一人で映画「Happy・しあわせを探すあなたへ」を観にいった。→◆
アメリカでは「幸福度の研究」が盛んだそうです。
脳医学の博士によると、「幸せを知っていても、実感できていない人」がどんどん増えているんやって。
アメリカ・ルイジアナ州の湿地帯のオッチャンの言葉が心に響きました。
「nature is a good medicine.」
インド・コルカタの人力車ドライバーが言うてました。
「仕事をして疲れて帰っくると、子供が出迎えてくれます。私は幸せです。」
◆「しあわせ」の語源について考えてみたくなった。
意味はラッキー。運が良いこと。
もともとは大和言葉。
室町時代に生まれた名詞形の語で
「仕合わせ」と書き、それは「し・あわす(為合わす)」ということ。
本来は<めぐりあわせ>の意味で
<しあわせが良い(めぐりあわせが良い)>、<しあわせが悪い(めぐりあわせが悪い)>というふうに用いられていた。
または、<良きしあわせ><悪しきしあわせ>など。
江戸時代以降、<しあわせ>のみで<幸運な事態>を表すようになり
後々、<出来事・事態>よりも<気持ち・内面>のほうに意味が移り<幸福>の意味になった。
そうして<しあわせ>に<幸せ>の字が当てられた。
漢字の成り立ちでは「幸」は<手かせ>のこと。(えらいこっちゃで。)
のちに、<手かせ>から運良く逃れたというところから「運良く、ラッキー」の意味をなすようになったそうな。
英語で「しあわせ」は「happy」
語源は「hap」
(「hap」は古代ノルゥエー語からの借用語で、原義は「運」「つき」といった意味があるようです。)
「happen」と同じ語源や。
happenの意味は「出来事が起こる・偶然に起こる・たまたま前触れもなく起こる」
意味するところは「偶然・運命」
<めぐりあわせ>と言い換えられるかな?ちょっと無茶か?
ふと、ルイジアナのオッチャンが言うてたのを思い出した。
「自分を大きな自然界に在るものとして認識できればhappyって思える。」
Happyって、<めぐりあわせに感謝する>ということなんやろね。
西洋も東洋も関係なく、同じ感覚で捉えることができる有り難い言葉やと思う。