シンプルなカラダづくりを考える

中医×探究思考÷畑で過ごす日々

地図学習は分解&反復学習にもってこい!?

本日は子ども向けの日本語教室。昨年から始まって、毎月一回のペースで続けています。只今のテーマは日本地図と作文です。

 

日本地図では、住んでいるところ、行ったことがあるところ、お父さん・お母さんの出身地など、わかりやすい問いに答えながら、地図をじっと眺めます。地図に慣れてきたら、身近な近畿地方だけを取り上げて場所と名前を覚えていきます。

 

めっちゃ知ってる兵庫。みかんの和歌山。隣の京都。よく行く大阪。琵琶湖の滋賀。大仏の奈良。行ったことのない三重。覚え方はみなそれぞれでいい。

 

場所を覚えたら、今度は県名を書いてみる。この時点で子どもたちは知らない漢字でも気にせず書こうとします。大事なことは場所と地名を正確に覚えることなので、漢字の間違いを見つけても、指摘はするけど、さほど気にしません。

【分解と反復】

 

すべての都道府県を一度にマスターすることは大変ですが、地方別に分解して眺めると随分気が楽になりますね。細かく分解して、余裕を持って反復する。このパターンを身につけるのに、地図学習はもってこいだなぁと感じています。

 

全体像→分解&反復→習得→アウトプット

 

この流れは健康仕事でも同じことなので、とても役立ちます。

 

基礎知識、基本手技をきちんと身につけたうえで、自分が関心を持つ分野へ進む。理論と実技において、拠り所はいつでも土台である基礎にあります。

 

次のクラスが楽しみです。

 

 

 

 

 

当たり前のことを当たり前にしたい!?毎日のちょこっとコミュニケーションを続けよう

これまで何度目を通したか覚えていないほど読んでいる本。お気に入りの一つに松浦弥太郎さん著の『伝わる力』があります。今朝はトイプー息子を連れてドライブにでかけたので、その途中で少し読みました。

以下、人の「気」を見るより一部引用

「コーヒーを美味しく淹れるコツはあるんですか?」と、ある日、僕はカフェの女性に聞いてみた。すると彼女は、しばらく黙って考えた末に「いつも大切にしているのは、お客さんの『気』を見て、今日はどんな味を求めているのかを、自分なりに見極めることです」と答えた。

 

びっくりした。「気」を見るというと、少し怪しげな感覚であるけれど、今日は元気なのか、疲れているのか、今どんな気持ちなのかと、それこそ、その人の「気」をさりげなく感じ取って、それに合わせた微妙な味の調整をし、愛情込めてコーヒーを淹れているという。

 

「料理で覚えるべきことは、技や知識ではなく、愛情の表現です」と教えてくれたのは、料理家のウー・ウェンさんだ。カフェの彼女の話を聞いて、まさにその通りだと思った。おいしさとは、やっぱり口だけで感じるものではなく、その時その時の状態による、「気」という心で感じるものが大きいのだろう。

 

「料理の目的は、単に食べる人のお腹をいっぱいにすることではないんです。一日の疲れを癒やして、明日の健康を助けることです」とも、ウー・ウェンさんは言った。きっとそれと同じ気持ちで、彼女はコーヒーをいれているのだ。「気」を見るという心持ちは、決して怪しいことではなく、料理の他、仕事にも暮らしにも生かせる、とても大切な姿勢だ。接する相手の「気」を、常に観察し、今、何をどんなふうに求めているのだろうか、どうしてあげたら心がしあわせに満たされるのだろうか、と自分なりに見極め、自分のできることを尽くす。

 

相手の心に自分の心を向けること。そこに生まれる感情が、あらゆる行為に魔法となって作用するのだ。

 

もちろん、自分の「気」にも、日々、目を向けること。そして、何事もていねいに、そう、心を込める。

 

以上、引用終わり

 

気は心。おいしいコーヒーを淹れる女性の想いを通して「気」の本質に触れる。すべての根幹は愛情表現にあることを説いているところに共感します。

 

Fastな現代社会にいて、そのスピードについていけてないと感じることが多々あります。できればついていける自分でいたい。でも、そこまでついていかなくてもいいんじゃない?

 

私にとって、愛情表現とはコミュニケーション。

 

毎朝、気持ちの良い挨拶から始まる一日を過ごすことが重要だと思います。また、仕事でも、プライベートでも、困ったときは一人で勝手に判断するのではなく、周りに相談すること。

 

社会状況の変化もあってか、当たり前のことが当たり前にできない世の中になってきました。

 

まずは自分から。

 

毎日のちょこっとしたコミュニケーションを続けていきます。

 

 

今期もいよいよ吸玉療法解禁!?自然界のリズム+身体の声を聞く

本日は芦屋施術会でした。

こむがえり、肩の痛み、腰痛、マスク・ワクチン接種、社会情勢、海外旅行、湯たんぽ、身近な知り合いの体調不良etc.

周りを見渡せば、気になることはたくさんありますが、とにかく自分の身体は自分で守る意識を持ち続けることが大事です。

芦屋での施術日は月・木・日となっております。

施術のみならず、健康のご相談、施術体験もお受けいたします。お気軽にお問合せください。

自然界のリズムを感じて、身体の声を聞く。

春一番のニュースが届きました。今シーズンもそろそろ吸玉療法を解禁します。

懐かしや、ヘビースモーカーのR先生との思い出!?

こんにちは!本日は写真整理をしていて見つけた思い出の3枚を紹介いたします。

写真に写っているのは上海中医薬大学附属龍華医院のR先生。初めてお会いしたのは2006年。当時、日本に来られた際に関空までお迎えに行き、大阪・奈良観光をご一緒させていただきました。

 

推拿を学んでいることを伝えると、手元にあった教科書に中国語で激励の言葉を書いてくださいました。

 

その後、2016年に運良く再会することができました。鞄に忍ばせていた教科書をお見せすると、もちろんR先生は大喜び。ご家族を始め、周りの方々にも、10年前のエピソードを興奮気味にお話されていました。

 

自分がタバコに吸うときには、必ず周りの人にもすすめるちょっと変わったR先生。一日同行すると、軽く20本は集まりました。

 

日本語、英語でのコミュニケーションができないR先生と、中国語をまったく話せない私。この二人が夜遅くに大阪のとあるカフェで2時間も一緒にどうやって過ごしたのか、今ではなかなか思い出せません。

 

中医学を学んでいるからこそ、いろんな人との出会いがあります。たまには、こうやって振り返ってみるのもいいものですね。

 

 

自分にとって、本当に必要な健康食材とはどんなもの?食を考えることは永遠のテーマ

本日は健康体の条件8から「食材」をピックアップして、まとめてみました。

健康体の条件8とは、「食・二便・睡眠・体温・運動・瞑想・息・絆」からなる、これまで学んできた健康観をシンプルにまとめたものです。これがすべてというわけではなく、あくまで都度の気づきを得るために設けたオリジナルの指標です。

 

今回は、このなかの一つ「食」を分解する試みです。

 

・自宅でよく食べているもの

・やっぱりみそ汁は最強

・旬の食材を知る

 

世に健康食材は豊富にありますが、自分にとって本当に必要な食材とはどんなものなのでしょうか?

 

大事なことは、「どんな食材が良いのか」ではなく、「自分にとって」というところですね。

 

今後も、無理なく実践できる範囲で整理していきます。

漢字を美しく書く→手技の上達とつながる!?いろんな視点で「美」を追求しよう

今朝は漢字練習に取り組みました。

何を今更漢字なんて、、、と感じる方もあるかもしれませんが、一度始めてみると結構楽しいものです。

先の正月休みに、小学生漢字の書き順をひとまとめにしたものを図書館で借りました。娘と一緒に書き順をチェックしてみると、間違いがたくさん出てきました。本の表紙にもあるように「知らなかった自分にビックリする!」状態になりました。

 

その後、娘に全学年の漢字からランダムに問題を出してもらうと、なんと45文字も間違って覚えていることが判明しました。

 

以下、引用です

 

筆をどのように動かせば、早く、美しく、漢字を書くことができるか。筆順はまさに文字としての「美」を追求するために生まれてきたものだったのである。

<中略>

美しい感じを書くための、まず第一歩に筆順の正しさがある。

 

以上

 

「美の追究」は手技療法の学びにもつながります。そんなこともあって、筆順に興味を持ったのかもしれません。

 

私はもともと左利きです。左から右へ、横棒一本引くのにも難しさを感じることがありました。

 

【綺麗な字を書きたい】

 

そんな想いもあって、人の真似をして鉛筆の持ち方を変えてみたり、ボールペンもペン先の太さを変えてみたりしました。黒色から青色を選んでいたときもあります。

 

実際に筆順を正しく覚えて練習してみると、今までとは違う字に生まれ変わったものがいくつかあって感動しました。

 

滑らかに、美しく書く。

 

いろんな視点で「美」を追求してみたくなりました。

漢字の筆順を正しく覚える練習を続けてみます。

あのころは気持ちに余裕があった!?大人になった今だからこそわかること

おはようございます。

本日は2/12(日)、一粒万倍日です。何か良いことを探そうと思い、偶然見つけた記事です。以下、明石市長・泉房穂氏の『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)の内容を一部ご紹介します。

shuchi.php.co.jp

以下引用

歩くのがやっとで、1年生のときの運動会は黙って見ていただけの弟でしたが、2年生になり、急に「運動会に出たい」と言い出しました。

「そんなもん走れるか」と、私は当然のように反対しました。「笑いものにされるだけや」と。ましてや潮干狩りで危ない目にもあっているのです。父も母も止めようとしました。

「歩けるようになって、学校に通えて、それで十分やないか。これ以上、周りに迷惑をかけるわけにいかんやろ」。

それでも弟は泣きじゃくり「絶対に出たい」と言って、聞き入れません。あまりにも弟が言い張るので、結局、形だけ参加ということで運動会に出ることになりました。

当日、小学2年生の部の50メートル走で、いよいよ弟が参加する順番。「ヨーイ」「ドン」とピストルが鳴り、みんなが走り出し、次々にゴールに駆け込んできました。

私はゴール近くの席に座っていたこともあり、全体がよく見渡せるところから見ていましたが、弟はヨロヨロとよろけるような動きで、まだスタートから10メートルぐらいしか前に進んでいませんでした。

「恥ずかしい。みっともない」。そのときの私の正直な気持ちでした。ところが、弟の顔に目をやったとき、自分の目を疑いました。

笑っていたのです。満面の笑みで、うれしそうに。1人取り残されながらも、ゆっくりと前に進んでいたのです。本当にいい顔をしていました。

「ええ顔してるな」。これまでに見たこともないような笑顔をしている弟を見た瞬間、私はそれまでのすべてが引っくり返るような思いがしました。そして、涙がボロボロと止めどなくこぼれてきたのです。

「弟のため」と言いながら、本当のところは、自分が周りから笑われたくなかっただけなのかもしれない。「たとえ恥ずかしくても、みっともなくてもかまわないから、弟の気持ちを大切にすべきだったのに」と思うと、涙が止まりませんでした。

自分のことが情けなく思えて仕方がありませんでした。たとえ周りに迷惑をかけるかもしれなくても、兄として、とことん弟の味方であるべきだったのに。理不尽な冷たい社会に対して、家族として闘ってきたはずなのに。兄として弟のことを理解しているつもりだったのに。

「一番冷たかったのは、この自分だったのかもしれない」。そのようにさえ思えてきました。

本人の幸せを決めるのは、他の誰でもなく、本人。親や兄でもなく、本人。本人の人生の主人公は、あくまでもその本人。その後の私のスタンスを決定づけたエピソードの1つです。

 

以上引用終わり

 

この部分を読んでいて、大学時代に取り組んだボランティア活動を思い出しました。老人ホームや少年サッカーチームを訪れて、それぞれスタッフの一員としてお手伝いをしていました。

 

こちらが声をかけても反応がなかったり、相手の訴えを理解することができなかったり、そもそも英語でのコミュニケーションが簡単ではなかったということもありますが、それはもう大変だったという思い出があります。

 

ただ、ひとつハッキリと覚えていることがあります。それは、どんなに時間がかかろうとも、何か一つ成し得たときには共に心から喜び合えることができたことです。

 

今の自分だったらどうだろうか?

 

当時は、それこそ長い時間軸で互いの成長を見守ることができていたと思います。あのころを振り返ると、気持ちに余裕がありました。そんな気がしてなりません。また、これは、大人になった今だからこそ、わかることかもしれません。

 

・他者の評価を気にしない

・長い時間軸で見守る

・ほどほどで満足する

 

じっくり考えてみたいテーマです。