シンプルなカラダづくりを考える

中医×探究思考÷畑で過ごす日々

あのころは気持ちに余裕があった!?大人になった今だからこそわかること

おはようございます。

本日は2/12(日)、一粒万倍日です。何か良いことを探そうと思い、偶然見つけた記事です。以下、明石市長・泉房穂氏の『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)の内容を一部ご紹介します。

shuchi.php.co.jp

以下引用

歩くのがやっとで、1年生のときの運動会は黙って見ていただけの弟でしたが、2年生になり、急に「運動会に出たい」と言い出しました。

「そんなもん走れるか」と、私は当然のように反対しました。「笑いものにされるだけや」と。ましてや潮干狩りで危ない目にもあっているのです。父も母も止めようとしました。

「歩けるようになって、学校に通えて、それで十分やないか。これ以上、周りに迷惑をかけるわけにいかんやろ」。

それでも弟は泣きじゃくり「絶対に出たい」と言って、聞き入れません。あまりにも弟が言い張るので、結局、形だけ参加ということで運動会に出ることになりました。

当日、小学2年生の部の50メートル走で、いよいよ弟が参加する順番。「ヨーイ」「ドン」とピストルが鳴り、みんなが走り出し、次々にゴールに駆け込んできました。

私はゴール近くの席に座っていたこともあり、全体がよく見渡せるところから見ていましたが、弟はヨロヨロとよろけるような動きで、まだスタートから10メートルぐらいしか前に進んでいませんでした。

「恥ずかしい。みっともない」。そのときの私の正直な気持ちでした。ところが、弟の顔に目をやったとき、自分の目を疑いました。

笑っていたのです。満面の笑みで、うれしそうに。1人取り残されながらも、ゆっくりと前に進んでいたのです。本当にいい顔をしていました。

「ええ顔してるな」。これまでに見たこともないような笑顔をしている弟を見た瞬間、私はそれまでのすべてが引っくり返るような思いがしました。そして、涙がボロボロと止めどなくこぼれてきたのです。

「弟のため」と言いながら、本当のところは、自分が周りから笑われたくなかっただけなのかもしれない。「たとえ恥ずかしくても、みっともなくてもかまわないから、弟の気持ちを大切にすべきだったのに」と思うと、涙が止まりませんでした。

自分のことが情けなく思えて仕方がありませんでした。たとえ周りに迷惑をかけるかもしれなくても、兄として、とことん弟の味方であるべきだったのに。理不尽な冷たい社会に対して、家族として闘ってきたはずなのに。兄として弟のことを理解しているつもりだったのに。

「一番冷たかったのは、この自分だったのかもしれない」。そのようにさえ思えてきました。

本人の幸せを決めるのは、他の誰でもなく、本人。親や兄でもなく、本人。本人の人生の主人公は、あくまでもその本人。その後の私のスタンスを決定づけたエピソードの1つです。

 

以上引用終わり

 

この部分を読んでいて、大学時代に取り組んだボランティア活動を思い出しました。老人ホームや少年サッカーチームを訪れて、それぞれスタッフの一員としてお手伝いをしていました。

 

こちらが声をかけても反応がなかったり、相手の訴えを理解することができなかったり、そもそも英語でのコミュニケーションが簡単ではなかったということもありますが、それはもう大変だったという思い出があります。

 

ただ、ひとつハッキリと覚えていることがあります。それは、どんなに時間がかかろうとも、何か一つ成し得たときには共に心から喜び合えることができたことです。

 

今の自分だったらどうだろうか?

 

当時は、それこそ長い時間軸で互いの成長を見守ることができていたと思います。あのころを振り返ると、気持ちに余裕がありました。そんな気がしてなりません。また、これは、大人になった今だからこそ、わかることかもしれません。

 

・他者の評価を気にしない

・長い時間軸で見守る

・ほどほどで満足する

 

じっくり考えてみたいテーマです。