シンプルなカラダづくりを考える

中医×探究思考÷畑で過ごす日々

つまり生き様そのものが僕の作品なんだ

FBで偶然見かけた投稿。
■文中より
自分がうまい字や、凄い字を書きたいという心じゃダメなんだと。つまりそれは評価を求めているということでしょう。こういうものを書いたらどう見られる、ということばかり考えているうちは、人を感動させられない。相手のことに好奇心を持って、その人を心から喜ばせたいとか、悲しみを取り除いてあげたいといった気持ちがあって、初めて書は人に感動を与えられるものである。

「プロフェッショナルへの道」

書道家 武田双雲さんの言葉
できるだけ多くの人を喜ばせたい。じゃあどれくらい?と考えた時に、約60億いる世界の人口のうち、50歳までに1億人以上の人生を変えると決めたんです。でもまず何をやっていいか分からないし、練習している時間がもったいないから、外で書こうと思ってストリートに出たんです。最初はやっぱり人が来てくれない。

集まってきたとしても、誰も何も反応してくれない。そこで、ちょっと諦めたというか、力を抜いたわけです。そして地べたに座りながら人間ウオッチングをしていたら、皆の悲しそうな表情とかが見えてきて、道行く人々に興味が湧いてきたわけです。

つまりそれまでは、周りのことにまったく興味がなかったわけですね。自分のことばかり考えて、こっちへ来い、こっちへ来い……みたいな(笑)相手のことを全く見ていなかった。
それが見られるようになってきてから、不思議と人が集まってくるようになりました。

最初はまたエゴが出て、評価されたい、認められたいという気持ちがあるから、何のリアクションも返ってこない。それで、これじゃいかん、相手のことをもっと知らなきゃと思って、人の話を聞き始めたんですね。すると1時間近く仕事のグチを言う人もいたし、自分の身の上話を延々とし始める人もいて、人って、心の内に秘めている、伝えたいことがやっぱりあるんだなと思いました。そして、いろいろと話をして、お互いの心が繋がった後に書を書くと、皆が感動してくれたんですよね。

で、この発見が大きかった。同じストリートでも、こっちの気持ち次第、こっちのあり方次第で、こんなに人の反応は変わるんだと。それは僕にとって、とてつもなく大きな発見であり、コペルニクス的大転回でした。

自分がうまい字や、凄い字を書きたいという心じゃダメなんだと。つまりそれは評価を求めているということでしょう。こういうものを書いたらどう見られる、ということばかり考えているうちは、人を感動させられない。

相手のことに好奇心を持って、その人を心から喜ばせたいとか、悲しみを取り除いてあげたいといった気持ちがあって、初めて書は人に感動を与えられるものである。ということは、こっちが世界中の人々の心に関心を寄せていけば、向こうが僕をたぐり寄せてくれるんじゃないかと思ったんです。

それと、もう1つ大きな気づきがあったんですよ。

僕の書を見てくれた人の中で、泣き出す人が出てきたんです。そしてその数は日増しに多くなっていった。その時に僕は、これは自分が感動させているわけじゃない、ということに気づいたんです。その人の溢れ出そうになっていた感情のスイッチを、僕の書がたまたまポンと押しただけじゃないか、と。ちっぽけな自分が1億の人々を感動させるのは難しい。でもそういうことだったら、いけるんじゃないか。こっちの心のあり方次第、行動の仕方次第によっては。

いま僕の話したことを聞いて何かを感じた方は、ぜひ実践してみるといいと思うんです。こっちの言葉の選び方1つ、態度1つで相手の態度が変わりますから。そしてすべては自分のあり方次第であることに気がつく。だから僕はテレビに出る時も、自分がどう見られているかという意識を、できるだけゼロに近づける。後でどう評価されるかという意識で話をしていたら、言葉って全然伝わらないと思うんですよ。そうやって、書だけでなく、すべてが自分の作品である、ということに気づけたこともまた大きかった。しゃべることや書くこと、つまり生き様そのものが僕の作品なんだと気づいた時から書の世界だけにこだわらなくなりましたね。